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特養に行った父。ぼくはあのとき、逃げてしまった。

【隔週木曜日更新】連載「母への詫び状」第十五回

■父のためを思えば…

 しかし、父のためには良かったと思えた。ろくに家事もできないおっさん息子とふたりで生活するよりも、介護のプロフェッショナルに任せたほうが、たぶん穏やかに、健康に暮らせる。家の近所を徘徊して事故にあう心配がなくなるだけでも、今よりはいいはずだ。

 あとは頑固者の父が、施設でうまくやっていけるかどうか。人との相性も気になったが、ショートステイを利用中もトラブルなく過ごしていたし、その特養について父に聞いてみると「ここはおかしな旅館だな。酒を出してくれって言っても、酒がないっていうんだ」などと、のんきな愚痴をこぼしていた。特養を旅館だと勘違いしているらしい。

「しばらくお酒は我慢してさ。また今度、うちへ帰ったら飲めばいい」

 軽い相づちのつもりでぼくはそう答えてしまったが、言った後で、ある想像が浮かび、急に胸が詰まった。

 もしかしたら父はもう二度と、自宅には戻って来ないのかも知れないという想いだ。

 父が長年、家族とともに暮らしてきた自宅。この家は父がつくり、父が主として生きてきた城だ。

 数日間の予定で家を出たはずなのに、当分は家に帰らないという状況になった。そんな大事な話を、父に説明しないままでいいのだろうか。理解してもらえないとしても、きちんと説明するべきではないだろうか。

 特養という場所は、終の住処(ついのすみか)として位置づけられているので、入所者はそのまま人生の最期までそこで過ごす人が少なくない。

 結局、ぼくはうやむやなままゴマかした。面と向かって「これからはここで暮らすんだよ。もう家には帰らないかも知れない」とは、とても言葉にできなかった。たぶん、逃げたんだと思う。

 父が生活することになった特養は、郊外の高台にあり、周囲には緑の木々が生い茂った自然豊かな環境にあった。 

 長期入所用の衣服や、身のまわりの日用品を新しく買い揃え、父のところへ持って行ったのは、ミンミンゼミの声が騒がしい、秋の始まりの頃だったのをよく覚えている。

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夕暮 二郎

ゆうぐれ じろう

昭和37年生まれ。花火で有名な新潟県長岡市に育つ。フリーの編集者兼ライターとして活動し、両親の病気を受けて帰郷。6年間の介護生活を経験する。



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